さびしさは その色としも なかりけり

~~~さびしさは その色としも なかりけり

槇立つ山の 秋の夕暮れ~~~        (寂蓮法師)

(秋の寂しさは 紅葉の彩りに思うのではなくて常緑の山の夕暮れに感じるよ)


新古今和歌集には秋の夕暮れを歌った「三夕の和歌(さんせきのうた)」があります。

~~心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ~~       (西行法師)

(世を捨てたはずの我が身にも人生の無常が身に沁みる。鴫が羽音を残して飛び立った後の夕暮れには寂しさを感じるよ)

~~見渡せば 花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ~~        (藤原定家)

(見渡すと春の桜も秋の紅葉も何もない。
ただ寂れた苫葺きの小屋があるだけの秋の夕暮れよ)

定家の夕暮れには、「寂しさ」も「あわれ」の感情は詠まれていません。
華やかなものは何もない寂れた苫葺きの小屋の佇む夕暮れに
しみじみと心を打つ
余情があるという。
わび茶を大成した「武野紹鴎」はこの歌こそがわび茶の心であると表しています。