住むことは所がらぞといひながら

~~~住むことは所がらぞといひながら
高野はもののあわれなるかな~~~      (西行)

(高野山に住むと言うことは、心も澄みひとしおもののあわれを感じるよ)

この歳になり初めて高野山にお詣りする事が叶いました。
高野山は、およそ1200年前に、弘法大師によって開かれた
真言密教の修験道場であり、高野山真言宗の総本山です。
標高900mの山の上にたどり着くと、壇上伽藍と称する聖地が
広がっていました。
老杉の茂る奥の院への参道には古き時代の立派な墓碑が
立ち並び信仰の厚さをうかがい知ることが出来ました。



金剛峯寺をお詣りするころには雪が舞い始め、
厳しい寒さの中での修行の世界を思い知らされたようでした。
雪の降り積もりそうな
おごそかな御影堂を後に
お詣りを終えました。